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ご来訪ありがとうございます。 バ/ク/マ/ン。の福田と蒼樹、新妻と岩瀬の二次創作を中心に公開しております。 苦手な方は閲覧をご遠慮ください。
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以前書いたのを加筆修正して完成させてます。
思ったよりデートでした。
パンチラ指導の頃です。

+ + + + + + + + + +
 グーーーーッという盛大な腹の虫が聞こえてきたのは、いつものようにパンチラ指導を受けている最中の事だった。
「……」
「…………」
 数秒の沈黙の後、電話相手がばつの悪い声で「…悪いかよ」と呟いた。
 拗ねた声は意外にも年相応に可愛らしく、思わず口元がほころんだ。
「悪いだなんて、誰も言っていませんが」
 しかし笑いを堪える気配を感じ取ったのか、声の主は不機嫌だった。
「笑うんじゃねぇよ。蒼樹嬢の指導してっと、腹減るんだよ」
「福田さんが、怒鳴ってばかりだからですよ」
 きっと彼は、怒鳴る分だけ無駄にカロリーを消費しているのに違いない。
 怒鳴らなくても、ちゃんと聞こえているというのに。
 ツンと澄まして言い返せば、「なんだとコノヤロー」毒のない憎まれ口が返ってきた。
 電話相手である福田真太は、同い年の(学年はひとつ下だが)漫画家だ。
 血の気が多く口が悪く、声が大きく喧嘩っぱやい……蒼樹の最も苦手とするタイプの男性、だった。
 過去形なのは、指導を受けるうちに乱暴な物言いの中で見え隠れする優しさを知り、好意を覚えはじめているからだ。
 女友達すらほとんど作れずにいた自分が男性と……しかもこれほどタイプの違う相手と、気軽に憎まれ口を叩きあっているというのは、不思議な気がする。
「でも……そうですね。私も少し、お腹が空いてきました」
 空腹感を紛らわす為に水でも飲もうかと考えていた矢先、何かを思いついたらしい福田の声が耳に飛び込んできた。
「そうだ、蒼樹嬢!これから飯食わねぇ?三鷹の近くでさ、いい店知ってんだよ」
「えっ!?い、今から、ですか?」
 思いもかけない提案に、少し声がうわずってしまった。
 時計を見れば、夜の10時を過ぎている。
 こんな時間に福田さんと出掛けるだなんて。
 お食事を一緒に、だなんて。
 そんな、どうしたら。
 何と返せば良いやら分からない。
「で、でも、あの、お化粧も落としていますし……今から、というのは……」
 化粧を落とし、入浴も済ませ、パジャマの上に丈の長いカーディガンを羽織っただけ。
 そんな姿で福田を迎えられる訳もない。
 へどもどと言葉を選んで断ろうとするが、福田はあっけらかんと言い放つ。
「バッカ。んな洒落た店じゃねーから、すっぴんで構わねーよ」
「な……っ!福田さんに女性の事情はわからないとは思いますが!そんな訳にはいかないのです!」
 あーはいはい。
 めんどくせぇ、と言いたげな相槌を返される。
「じゃあ、まぁ。15分か20分では着くと思うから。そういう事で。俺が着くまでに支度済ませとけよ、いいな」
「えっ、ふく……!?……あっ……………もうっ」
 一方的な宣言の後、蒼樹の返事も待たず、通話が途切れた。
 ああ、もう。
 この人ときたらどうして!
「………何故そんなに、強引なんですかっ!!」
 携帯電話を床に叩きつけようかとも思ったが、携帯電話に当たっても仕方がない。
 気の短い福田の事だ、もうバイクのキーを手に玄関に向かっている頃だろう。
 時間は限られている。
 慌ててクローゼットの前に立ち、鏡に向かって考える。
「今からご飯だなんて………そんな。何を着ていけばいいのかしら……」
 洒落た店ではない、と福田は言っていたが……外食をするのに、それなりの格好をするのは店に対する礼儀だろうと蒼樹は思う。
 花柄やレースやシフォン地や…上質なお気に入りのワンピースを何枚か手に取ってはみるが、福田の隣でかしこまった格好をしている自分を想像すると滑稽な気がして、やめた。
「……そもそも、デートでも何でもないですし」
 何しろ福田さんですし。
 そう呟くのは、言い聞かせないと胸の一部がふわふわと浮き立って落ちつかないからだ。
 悩み抜いた挙句、いつも通りのニットのチュニックに手早く着替えると、舞踏会に向かうシンデレラのようにいそいそと、蒼樹は化粧台に向かう。
 化粧をする時間はあるだろうか。
 先に髪を整えた方がいいだろうか。
 福田が到着するまでに終わるだろうか。
 髪につけていたカーラーを外し、櫛を通す。あとでドライヤーを使おう。
 眉を整えマスカラを塗る。
 フルメイクをする余裕はないので、簡単なポイントメイクで済ませてしまおう。
 最後の仕上げと唇にグロスを塗ろうと紅筆を手にした瞬間、ふとした疑問が沸き上がった。
 ……それにしても。
 大抵のレストランでは、ラストオーダーの時間を過ぎている筈だ。
 開いている店などあるのだろうか。
 もちろん、相手が福田である以上、そんな心配は無用なのだが。
 彼女はまだ、それを知らない。



 福田の言う『いい店』は、蒼樹の家から歩いて10分程度の距離らしい。
 近いから歩こうぜ。
 きっちり20分後に到着した福田は、そう言ってバイクをマンション脇の公園に止めた。
 冬の夜空は塗りつぶしたように真っ黒で、白い光を放つ月も、今宵は雲で隠れている。
 日中は人が絶え間なく行き交う大通りも、さすがにこの時間になると静まり返っている。
 足元を照らすのは一定の間隔で設置された街灯と、時折走り抜ける車のヘッドライトだけ。
「……新妻師匠のアシスタントしてる時に、見つけた店なんだけどよー」
 すっげぇ、うめぇのなんのって。蒼樹嬢、食べたら驚くぜ。
 よほど楽しみなのだろう、福田は子供のようにはしゃいでいる。
 うめぇ、ではなく美味しい、です。
 心の中で訂正をして、蒼樹は横を歩く彼をそっと見上げる。
 革ジャンのポケットに手を突っ込み、軽く口笛を吹きながら歩く、背の高い男。
 ぼやりとした街灯の頼りない灯りが、彼の頬に影をつくる。
 シャープなラインを際立たせる。
 いかにも女性にモテそうな、世慣れした雰囲気の人だと思う。
 彼の態度は気楽で、気軽だ。
 夜中に女性を誘う事など、よくあるし、たいした事ではない。
 そう言われているような気がしてしまう。
(ひとりで浮かれて、慌てて………馬鹿みたい)
 マフラーで隠した口元をキュッと引き結ぶ。
 硝子のように澄んだ空気はひんやりとしていて、時間の経過と共に頬やら耳やら、胸まで冷やす。
「おい、なんかずっと黙ってるけど、具合でも悪いのか?」
 無言のままの蒼樹を訝しみ、隣を歩く福田が身を屈めて顔を覗きこんでくる。
「いえ、そんな事は」
「そうかぁ?」
「……寒いだけです」
 言い訳代わりに付け足した。
「んだよ、そーならそーと言えよ。でも確かに冷えるよなぁ!あと少しだから、店につくまで我慢しろって。寒けりゃ寒いほど、うめーからよ!」
 彼が笑うたび、白い息があがる。
 福田は口は悪いが親切だ。
 正義感のお節介焼きで、困っている仲間を放っておけない。
 助ける為なら危ない橋も渡るし、自分の身を削る事だって厭わない。
 彼は優しい。とても優しい。
 ……勘違いしそうになる程だ。
 街灯と、連なる家々の向こうに、三鷹駅近辺の繁華街の明かりがみえる。
 もう少し歩けば、駅に行き着く。
 いつのまにか随分と歩いていたようだ。
 てっきりこのまま繁華街へ向かうのかと思いきや、福田は手前で立ち止まり、薄暗い路地へと入り込む。
 こっち、と、福田が手招きした。
 蒼樹はしばし躊躇った。
 福田が進んだ方角から、何やら、ほんのりと、異臭がしたからだ。
 しかしいつまでも立ち止まっている訳にはいかない。
 そうして迷っている間にも、福田は、確かな足取りで、奥へ奥へと進んでいく。
 しばらく躊躇った後、意を決して後に続いた。
 福田の背を追い掛けて進んでいけばいくほど、臭いは益々きつくなる。
 生臭いような、脂臭いような、それ以外の何かが混じったような、不思議な臭いだ。
 路地を抜けた。
 その先には、築何年だろう、今にも崩れそうな小じんまりとした店があった。
 ……特筆すべきは、先程から強く感じる異臭の発生源が、どうやらこの店らしいという事だ。
 色褪せたブロック塀に、歪んだポリバケツに、カラスに荒らされたゴミ袋。
 薄汚れて見える風景の中で、営業中を示す真紅のノレンだけが、生気に溢れていて力強い。
 ガラガラガラ……
 ガラスの一部が割れ、セロテープで応急処置を施した引き戸が開き、中から強面の男が出てきた。
 狭い路地ですれ違う。
 男は明らかに場違いな蒼樹と、場違いな蒼樹を連れた福田の組み合わせを不思議そうに見遣ったが、何も言わなかった。
 福田が店の前で立ち止まる。
 ……まさか。
 いや、まさか、というか、たぶんそうなのだろうけれど。
(ほ、他にお店も見当たらないし……)
 おそるおそる、追いついた蒼樹が福田の顔を仰ぎ見れば、彼は舌舐めずりせんばかりの表情で身震いをしたところだった。
「………こ、ここ、です、か?」
 言葉に含まれたわずかばかりの抗議の気持ちなど、きっと彼には届かないだろう。
「おう。ちょっと汚いけど、美味いぜ」
 福田はニッと歯を見せて笑うと、異世界へと続く扉のような、赤いのれんを先んじてくぐった。
 その後ろ姿を眺めながら、蒼樹はよそいきを着てこなくて本当に良かった、と心底思った。






 冬の冷気に体温を奪われた後に嗅ぐラーメンの匂いは、それだけでもご馳走だ。
 店の外にまで漂う福田好みの強烈な香りに、血沸き肉躍って仕方がない。
 繁華街から離れた路地裏に佇むその店は取材お断り、ブログ掲載もお断り、という、難物の店主がひとりで切り盛りする名店で、見つけたのはもう何年も昔だ。
(新妻師匠のアシスタントしてた頃だもんなー)
 『KIYOSHI騎士』の連載が決まり、吉祥寺に通わなくなってからは足が遠のいていたから、訪れるのは久しぶりだ。
 懐かしく感じるのは、当時を思い出すせいもあるのかもしれない。
 あれ、そういや。
 ある事に気付き、福田はのれんをくぐった所で立ち止まった。
「きゃっ」
 ドンッ
 軽い衝撃が背中に走る。
「福田さん、危ないじゃないですかっ!急に立ち止まらないで下さいっ」
「……あー、悪い」
 後ろから入ってくるところだった蒼樹に怒られた。
 当時から付き合いのあった服部雄二郎も新妻エイジも中井拓郎も真城最高も、この店に誘った事はあるのだが、タイミングがあわなくて結局一度も連れてきたことはない……まさか、一番最初に連れてきた相手が、あの、蒼樹紅だとは。
 人の縁とは不思議なものだ。
「なんでしょうか」
 つい感慨深い気持ちになり、蒼樹をまじまじ見おろした。
「いや、別に」
 この店に他人を連れてくるのは、これが初めてだ、なんて。
 改めていうほどの事でもない気がして、言葉を濁した。
 福田の態度をどう勘違いしたのか、蒼樹は顔を赤らめた。
「……福田さんが、急に誘うからですよ」
「あ?」
 いきなり何をいいだしたんだ、こいつは。
 首をかしげる福田を、蒼樹が睨みあげる。
「きちんとお化粧をする時間がなくて……だからです。あまり、見ないでください」
 福田は呆気にとられた。
 別に福田は、彼女の顔がいつもと違うとか、化粧が薄いと不細工だとか、意外と肌が荒れているとか、そんな事を思ったわけではない。勘違いも甚だしい。
 ……と、いうより、蒼樹の顔がいつもと違うことさえ、言われるまで気づかなかった。
 あんたの顔なんて、そこまで気にしてみてねぇーよ。
「アホか」
 思わず漏れた呟きに、蒼樹はますます顔を赤らめた。
「アホとは何ですか!」

「いらっしゃい!カウンター空いてるよっ」

 入り口に立つ二人に、声がかかった。
 殻をむいた卵のようにつるりとした頭の店主がこちらを見ている。
 大鍋から立ち上がる湯気でけむった店内は狭い。
 いつまでも入口に突っ立っていては、邪魔になってしまう。
「おい、座ろうぜ」
 蒼樹に声をかけ、カウンター席におかれた、足の長いスツールに腰をおろす。
 あわてたように「はい」と頷き、蒼樹も彼の隣に座る。
 並んで座ると、肩が触れた。
「あっ、すみません」
 蒼樹は驚いたように身をよじり、当たらないようにと距離をとる。
「……きゃっ」
 距離を取り過ぎたのか、鈍い音がして、彼女は反対側の壁に肩をぶつけた。
「………あのな。別に肩が当たったくらいで、いちゃもんつけたりしねーから、じっとしてろよ」
「そ、そうですね。すみません。失礼しました」
 肩をさする蒼樹に、また呆れた視線を向けると、彼女は先ほどとは違った意味で顔を赤くして頷いた。
「何にします?」
 トン
 店主が水の入ったグラスを置く。
 体格が良く、頭といわず眉まで剃りあげた店主の顔は、久しぶりに見ても相変わらずの迫力だ。
 何にするよ?蒼樹に尋ねると、彼女はその迫力に気圧されながら、「福田さんのおすすめで」と答えてきたので、「とんこつふたつ」、指を二本立てて注文した。
 あいよ、背を向けた店主に、「あ、餃子も一人前ね」、慌てて続ける。
 あいよ、店主はもう一度繰り返すと、湯気がもうもうと上がる大鍋に向かった。
 よし。
 後は、出てくるのを待つばかりだ。
 福田は自他ともに認めるラーメン好きだが、所謂『行列のできるラーメン屋』、というものには興味がない。
 ラーメンが好きな理由のひとつは、待ち時間が短い、という事だと思う。
 わざわざ並んで食べる意味が分からないのだ。
「ここのとんこつはよー、俺至上、最高にうまいぜ。餃子もでかくて、ジューシーでよー」
 久しぶりにこの店のラーメンが食べられることがうれしくて堪らない。
 上機嫌の福田は、出されたグラスの水を飲みながら、蒼樹に話しかける。
「……そうなのですか」
 隣に座る蒼樹は、落ちつかない様子だ。
 きょろきょろ、不安げに店内を見回している。
「どうしたんだよ」
 蒼樹の初対面の時の印象は、綺麗だが人形みたいに表情を変えない冷たい女、だった。
 のだが、接するうちに随分とイメージが変わってしまった。
 こうして戸惑うさまや少しつつくと過剰に反応するさまは、小動物を思わせる。
「あの………」
 戸惑う蒼樹が、こちらを見上げ、小声で彼に問いかけた。
 肩が触れ合うほど近い距離なのだから、むきあえば当然、顔が近付く。
「おわっ」
 予想よりも近い位置に、蒼樹の顔があった。
 湖のように澄んだ瞳が、近い。
 不意打ちに焦って距離を取った途端、隣の男に肩がぶつかった。
 すんません。隣の男に軽く謝罪をする。
 店内は狭いのだ。仕方がない。
「……なんだよ」
 声を抑えながら蒼樹に顔を寄せる。不意打ちでなければ大丈夫だ。
 近づくとシャンプーなのか石鹸なのか、清潔感のある匂いが鼻についた。
 そういえば、風呂に入った後だと言っていたか。
「あの」
 言いづらい話なのだろうか、蒼樹は一瞬口を噤み、困ったように眉根を寄せた。
「言いたい事あんなら言えよ」
 肘でつつき、福田が急くと、彼女は口元に手を当て「笑わないでくださいね」と念押ししてから彼の耳元で囁いた。
「とんこつ、というのは、どういったお味のお料理なのですか?」
「……?」
 なにいってんだ。
 笑う笑わない、以前の問題として、言っている意味が分からず、蒼樹の顔を見る。
 ふざけている訳ではなさそうだ。至極真面目に、彼女は尋ねているらしい。
「……蒼樹嬢。まさかとは思うけど、とんこつ食った事、ねぇの?」
「はい」
 おそるおそる尋ねると、蒼樹は恥ずかしそうに俯いた。
「……ラーメン屋来んのもはじめて、とかいわねぇよな?」
「……はじめて、です」
 重ねて問えば、消え入りそうに小さな声が返ってきた。
 どうやら福田の言った『とんこつ』の意味が分からず、品書きを探して店内を見回していたらしい。
 しかし残念なことに、偏屈店主のラーメン屋には、品書きがない。
「マジか」
 それで諦めて、福田に尋ねたのだろう。
「とんこつは、とんこつラーメンに決まってるだろ」
「豚の骨の、入ったラーメンなのでしょうか……?私、豚の骨は……あまり……」
 蒼樹が憂えた表情でつぶやいた。
「食うワケねーだろ」
 福田だって、豚の骨なんか食べたくない。
 彼の言葉に、蒼樹は目に見えて安堵した。
「そ、そうですよね……よかったです。豚の骨を食べるわけではないのですね……ホッとしました」
「……」
 福田はぽりぽり額をかく。
 ラーメン屋のノレンをくぐる事なく生きてきた人間がこの世にいるなんて、考えた事もなかった。
 お嬢様然とした外見や、東応大学の院生という素晴らし過ぎる経歴から、何となく想像はしていたが、蒼樹と福田は、育ってきた環境も嗜好もまるで違う。
 住む世界が違うのだ。
 漫画、というただ一つの繋がりを絶ってしまえば、地平の彼方まで進んでも、二人の人生は交わらないのに違いない。
 こうして隣り合い座っている事こそが、奇跡に近い。
「とんこつラーメンの味も知らずに生きてるなんて、人生における大いなる損失だぜ?」
 うそぶく福田に、そこまでですか、と蒼樹が驚く。
 いや、そこまでかどうかは分からない。
 蒼樹があんまり素直に受け取るものだから、つい盛りすぎた。
「福田さんは………良く、召し上がっていますよね」
「良くっつーか、基本毎日食ってんな」
「そんなにですか」
 蒼樹が目を瞠る。
「よっぽど、お好きなんですね」
「まぁな。好きなものはとんこつラーメン、嫌いなものはしょうゆラーメンだ。覚えとけよ」
「……覚えておきます」
 手抜きとしか思えない福田情報に蒼樹が笑う。
「福田さんは、ラーメンがお好きなのですね」
 何が楽しいのかわからないが、彼女は微笑みながらそう言った。
 馬鹿にされたような気もしたが、笑った顔はちょっと良かった。
 人見知りの彼女が、馴染んだ相手にみせる、穏やかな笑顔は……悪くないのだ。
「はいよ、おまちどーさんっ」
 注文からそれほど経っていないのだが、もう出来上がったらしい。
 ドンッ
 店主がラーメンを盛った鉢を二人の前に並べる。
 白く濁ったスープの上、縮れ麺の黄色、チャーシューの赤、それに葱の緑が鮮やかだ。
「うぉー!うまそう!いただきやす!」
 脇に置かれた黒い箸立てから割り箸を二本取り出し、一本を蒼樹に渡す。
 福田はさっそく箸を割り、ズルルルルルルルッ、豪快な音を立てながら麺をすすった。
 濃厚なスープを絡めた細縮れ麺を、口いっぱいに頬張る。
 至福の瞬間だ。
「……あーー、うっめーなー……」
 湯気の立ちのぼるラーメン鉢を前に、割り箸を手にした蒼樹は固まったままだ。
「……いただき、ます」
 福田が三分の一ほど食べ終わったころ、ようやく覚悟を決めたのか、彼女は箸を手にした両手を合わせた。
 蒼樹はとんこつラーメンを気に入るだろうか。
 連れてきた手前、気になる。
 横目に様子を観察すると、蒼樹は箸を割って右手に構え、左手をラーメン鉢に添え……その状態で、固まった。 
「……早く食わねぇと、伸びるぜ」
 脂の絡んだ細麺をズルルと口に吸い込みながら、言う。
「わ、わかっています」
 福田の言葉に蒼樹が慌てる。白濁したスープの上に浮かんだ麺を一本、箸でつまみ、食べにくそうに口に運ぶ。
「どうだ?」
 味を尋ねると、蒼樹は困惑顔で「わかりません」と返してきた。
 それはそうだ。わかるわけがない。
「そんな食い方じゃ、ラーメンの旨さはわかんねーに決まってるだろ」
 懐石料理には懐石料理の、フレンチにはフレンチの、ラーメンにはラーメンの、作法がある。
 懐石料理やフレンチに関しては、正直、自信かないが……ラーメンに関しては、福田はプロフェッショナルだ。
「いいか。まず、豪快に箸で麺をつかむ」
「は、はい」
 福田の言葉に蒼樹は生真面目に頷いた。
 そして、言われた通り、彼女は豪快に箸で麺をつかんだ。
「それから、口を大きく開ける」
「こうですか?」
 彼女は小さな口を、恥らいながら開けてみせる。
「んで、豪快に、音を立てながら、すする」
「……す、啜る、の、ですか……」
 蒼樹はためらった。
 麺をすするという行為に抵抗があるようだった。
(失敗したかな)
 一瞬、彼女をこの店に連れてきたことを後悔した。
 電話の向こうで蒼樹がお腹がすいた、と言った時、真っ先にこの店が思い浮かんだ。
 なぜかは分からないが、彼女にこの店のラーメンを食べさせたい、と強く思った。
 脂の匂いのキツいスープも、スープをしっかりと絡めた黄色い麺も、その上にのったトロトロに蕩けるチャーシューも、半熟の卵も、福田のお気に入りだ。福田が好きだと思うものだ。
 できれば彼女にも気に入ってもらいたい。好きだと思ってほしい。
 そう思っている自分に気付いて、福田は不思議な気持ちになる。
 この気持ちは何なのだろう。
 躊躇う蒼樹にお手本とばかり、福田は豪快に口を開け、ズルルルルルッと大きな音を立てながら麺をすすった。
「ほら、食ってみろよ」
 促すと、蒼樹は覚悟を決めたのか、口を大きく開け、ズルルルルッと麺を一気にすすった。
 もぐもぐ、口いっぱいに入った麺を消化しようと頬を膨らませる蒼樹の顔を覗き込む。
 不安と期待が入り混じる福田の視線をうけながら、蒼樹は時間をかけて、どうにかラーメンを飲み込んだ。
「どうだ?」
 尋ねると、悪くない、ちょっと良い、いや……結構良い笑顔で、彼女はうなずいた。
「美味しいです」



 真っ黒に塗りつぶされた空の下を、福田と二人で歩く。
「久しぶりにおっさんのラーメン食えて、満足だぜー」
 隣を歩く福田が、そういって伸びをした。
 ご機嫌で帰路につく福田を、蒼樹は軽く睨む。
「福田さんがじっと見るから、食べにくかったじゃありませんか」
 その後、ラーメンを啜る蒼樹がよほど珍しかったのか、福田はにやにやと笑いながら、蒼樹をずっと見ていた。
「蒼樹嬢、いい食いっぷりだったぜ」
 意地悪く笑われて顔が赤くなる。
「福田さんが見るからですよ」
 もう知りません。頬を膨らませた蒼樹は顔をそむける。
 福田の前で大きな口をあけるのも、麺を啜るのも、蒼樹はとても恥ずかしかった。
 しかし、恥ずかしがって食べずにいると、のびてしまう。
 それならばいっそ、蒼樹はますます激しく麺をすすることに、なってしまった。
 大口をあけて麺を啜り、一心に頬張る蒼樹は、一体どんな顔をしていたのだろう。
 ああ恥ずかしい。消えてしまいたい。
「でも、うまかっただろ?」
 福田は腹の立つにやにや笑いを浮かべて、蒼樹に尋ねる。
「……そうですね」
 はじめて食べたラーメンは、思いのほか、美味しかった。
 比べればパスタの方が好きだし、一人で赤い暖簾をくぐる勇気は蒼樹にはない。
 だけど、とても、美味しかった。
「誘ってくださって、ありがとうございました」
 心からそう言った。
「福田さんとラーメンが食べられて、良かったです」
 蒼樹の言葉に、福田は満足そうに笑う。
「俺も」
 え。
 思わぬ言葉を聞いた気がして、蒼樹は立ち止まる。
「俺も、あんたと……ラーメン食いたいなって思ってたんだよ」 
 立ち止まった蒼樹に合わせるように立ち止まり、上着のポケットに手を突っ込んだ福田が歯を見せて笑う。
 それはどういう意味だろう。心臓が早鐘を打つ。
 ……いや、単純に、ラーメンが食べたかった、という意味に違いない。
 何しろ相手は、福田真太だ。深読みしたら、バカを見る。
「福田さんは、ずるいです」
 きっと彼は今までにも、こうして女性を勘違いさせてきたのだろう。
「……あ?」
 困惑顔の福田を気にせず蒼樹は続ける。
「福田さんは、女性とお付き合いの経験もあるでしょうし、こういったことに慣れているのかもしれませんけれど……私は、慣れていないのです。そういう事を言われると、誤解しそうになります」
 福田の何気ない一言に心揺れる自分が、慌てたり騒いだりする自分が、バカみたいで恥ずかしい。
「何が」
 訳が分からないと福田は首をかしげる。
「……もう、いいです」
 もしかしたら、福田は……蒼樹以上に天然なのかもしれない。
 天然タラシ男。脳裏で赤いランプが点滅する。期待したらバカをみる。
 気をつけなくてはいけない。


「何だよ、突然」
 突然ツンケンしだした蒼樹の態度が納得いかず、一歩近づいたら、キャッ!、と悲鳴をあげて逃げられた。
「あまり近づかないで下さいっ」
 何かキャッ!だ。ふざけるな。
 送り狼か何かと勘違いしてんじゃねぇのか。
「あのなぁ!別にあんたなんか、襲わねぇから心配すんなっ」
「べ、別にそんな心配、していませんっ」
 蒼樹が真っ赤になって言い返してくる。
「近づくな、とかあんたが言うからだろーが。そんなに俺が怖けりゃ、こんな夜中にノコノコついて来るんじゃねぇーよ」
 蒼樹は仲間だ。騙したり隙をついてどうこうしようだなんて……そんなつもりは、福田には全くない。
 彼女は福田を信用していないのだろうか。
 信用されていないと思うと、腹が立って仕方がない。
「……あ、違います。近づいてほしくないというのは、そういう意味ではなくて……」
 蒼樹は白く小さな手をそっと口元に持っていき、困ったように、小さく息を吐いた。
「……その、ニンニクの匂いが、すると思うので……」
「…………」
 呆れた。
 本当に、なんなんだ。この女ときたら。
「………あのな。俺も同じの食ってんだろ」
 最後にきた餃子一皿は二人でわけた。彼女の口からニンニクの匂いがするというなら、間違いなく福田の口からもする。
「……そうですけど………気になります」
 めんどくせ、と福田は思う。
 女というのは、面倒臭い生き物だ。
 おそらく蒼樹紅は、とりわけ面倒臭い部類に入るだろう。
(こーいう女に惚れたら、すっげぇ、苦労しそう)
 それなのに、全く。
 理性で止められるのならば、恋はもっと、容易いだろう。
「蒼樹嬢」
「はい」
 ふと思い立った福田は、彼女に近寄った。
 そして口元を隠す彼女の手を掴んでおろし、顔を近づける。
 ハーーーーーッ!
 至近距離から思い切り、顔に息を吐きかけてやった。
「………キャアアアッ!!」
 蒼樹が悲鳴をあげる。
「ハハハハハ!!」
 取り乱してやんの。悲鳴をあげる彼女が可笑しくて、腹を抱えて笑った。
「何をするんですか!最低です!」
「蒼樹嬢が臭いを気にしなくてすむように、してやったんだよ」
 俺も臭かっただろ?尋ねると、蒼樹は「ノーコメントです」と言った。
 どっちだろう。
「……餃子食ったら餃子臭いのなんか、当たり前だろ。気にすんじゃねーよ」
「福田さん相手に、気にしていた事を、今、すごく、後悔しています」
 蒼樹が憮然としていう。その態度がおかしくて、福田はまた笑った。
「まぁそういうこった」
 今日は何だか、笑ってばかりだ。
「………ラーメン、美味しかったです」
 蒼樹が言った。
「そりゃ良かった」
 福田もうまいと感じた。一人で食べるよりも、もしかしたら。
「また、福田さんに借りが出来てしまいましたね」
「ラーメン一杯で、借りも何もねーだろ」
「福田さんにとってはそうかもしれませんが……」
 蒼樹がつぶやく。妙なところで律儀な奴なのだ。
 そうだわ。
 蒼樹が何か思いついたような顔で手を合わせる。
「うちに寄っていきませんか? お礼に紅茶を、ご馳走します」
「…………」
「ついでに、指導の続きも、お願いできますし」
「…………」
 それは、どうだろうか。
 亜城木夢叶のギャグのセリフが思わず頭に浮かんできた。
「こんな夜中にあんたの部屋に行くっつーのはよ……なんだ、よくねぇんじゃねぇの」
 ぼそぼそとつぶやくと、蒼樹が不思議そうに首をかしげた。
「私のことなんて、襲わないのではなかったのですか」
「…………」
 そうだけれど、そうだけれども、だ。
 百万が一という事もあるだろう。
 渋る福田に蒼樹は微笑む。
「私の好きな物も、福田さんに教えて差し上げたいのです。気に入って頂けるかは、わかりませんが」
 彼女はわりと良い、結構いい、すごく良い、福田の好きな笑みを浮かべて、彼にそういった。
 彼女の笑顔が眩しくて、なんだか座りの悪い気持ちのまま、気づけば頷いていた。
「……じゃあ、まぁ、紅茶だけ」
 良かった。蒼樹がよろこぶ。
 妙な気分だ。
 ラーメンのぬくもりが体に残っているからだろうか、寒くない。
 火照る体に夜風が心地よい。彼女と歩調を合わせて歩くのは、楽しい。
 もう少し一緒にいたいと思うのは、なぜだろう。



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